2017年11月6日(月) 詩編116編 祈りは感謝から


主はわたしに報いてくださった。
わたしはどのように答えようか。
救いの杯を上げて主の御名を呼び
満願の献げ物を主にささげよう
主の民すべての見守る前で。(詩編116:12-14)

 私たちは、毎日を当たり前のように生きています。食べること、着ること、住む家、働きや学びの場所…。それらのものが与えられているときには、何の疑いもなく、その中に暮らしています。「なぜきょうも食べるものがあるのだろう」「どうしてきょうも住む家があるのだろう」などと、いちいち疑問に思いません。しかし、いつも普通にあるものがなくなると、途端に「なぜ」と叫び、うろたえ、神に嘆いてしまいます。

 私たちが毎日、何不自由なく生活できるのは、今も生きて働いておられ、私たちと一緒にいてくださる主なる神(インマヌエル)が、私たちの必要を満たしてくださり、神の恵みに生きることを良しとしてくださっているからです。

 では、このように主なる神の恵みが示された私たちは何をすべきでしょうか。きょうも生命が与えられ、すべての恵みが満たされていることを神に感謝し、祈りを献げることではないでしょうか。ダイナミックに私たちに働きかけ、恵みをお与えくださる神に感謝し、生きることに喜びつつ、きょうも祈りをもって始めましょう。