2017年11月1日(水) コヘレト7章 小さな一歩のために諭し、励まし合うために


善のみ行って罪を犯さないような人間は
この地上にはいない。
人の言うことをいちいち気にするな。
そうすれば、僕があなたを呪っても
聞き流していられる。
あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
あなたの心はよく知っているはずだ。(コヘレト7:20-22)

 神の戒めは私たちの心に罪を罪と刻み続けます。しかし、私たちは与えられた神の教えに深い感銘を受けながら、そのことで瞬間的に、自動的に心が全く清く変えられるということはありません。私たちは神の戒めを聞く聖書の民でありつつ、罪人であり続けます。『ハイデルベルク』は教えます。「最も聖なる人々でさえ、この世にある間は、この服従をわずかばかり始めたにすぎません」(問114答前半)。

 教会に通い始めた頃、「人を見てはいけないよ」と繰り返し教えられました。神の戒めを聞く罪人の姿につまずいてはいけないからと。「人を裁く刃はそのまま自分にも返ってくるよ」とも教えられました。その言葉の重みを少しずつ受け止めているところです。

 私たちの心にも、隣人の心にも、そして、それぞれの行いにもなお罪が宿り続けていることを、神の戒めは指摘します。しかし、それは互いの罪を裁き、傷つけ合うためではありません。それは、皆が罪を抱えながらも、神の憐れみに生かされていることを喜び合うためです。赦し合うためです。そして神の戒めに生きる、その小さな一歩のために諭し励まし合うためです。