2017年10月3日(火) エフェソ4章 怒ったままでいてはいけません


怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。(エフェソ4:26)

 使徒パウロは、怒ることすべてを戒めているわけではありません。聖書は、確かに神の正義に基づく怒りがあることも教えています。洗礼者ヨハネは、ファリサイ派とサドカイ派の人びとに、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(マタ3章7、8節)と語ります。ですから、怒りには、確かに正しい怒りもあります。

 しかし、主イエスは、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」(同5章22節)と弟子たちに教えられました。パウロも主イエスと同じように、たとえ怒ることがあったとしても罪を犯さないようにと戒めています。しかし、私たち人間は罪深いものです。私たちは、怒った時は、それが正しい怒りであると思うのですが、実は人を傷つけ、人の尊厳を踏みにじってしまっていることが多いのです。これは、その人を殺しているのと結局は同じことになります。

 しかし、このような私たちに、神は「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と言われます。怒ることはあったとしても、その日のうちにその怒りは治めなさいという牧会的な御言葉です。