2017年9月12日(火) エレミヤ4章 主は生きておられる


もし、あなたが真実と公平と正義をもって
「主は生きておられる」と誓うなら
諸国の民は、あなたを通して祝福を受け
あなたを誇りとする。(エレミヤ4:2)

 「主は生きておられる」。なんとすばらしく明るい信仰の告白でしょうか。主が生きておられるなら、私たちの生活は主によって引き受けてもらうことができます。主が生きておられれば、生きることの諸問題は、もはや負い難い重荷ではありません。そして事実、主は生きておられます。十字架で私たちの罪を担い、復活と昇天によって教会と世界の主とされ、いまや再臨の旅路を始めてもおられます。

 生きておられる主に、どこでどのように出会うのでしょうか。エレミヤはそれを礼拝の場に求めています。礼拝は神の民の立ち帰りです(1節)。礼拝は主に対する全面的な服従です。そのような立ち帰りと服従の中で、「主は生きておられる」という告白が真実の言葉となり、礼拝は生ける神との出会いとなり、主の民の希望と再生の力となります。

 宗教改革500年を記念するこの年。これを単なる記念行事に終わらせることはできません。「御言葉によって改革され続ける教会」。それが日本キリスト改革派教会の願い、希望、決意です。「主は生きておられる」という告白を、主の日と平日のすべての場で実現したいのです。主に栄光あれ。