2017年8月26日(土) フィリピ3章 おのが腹を神とする


何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。(フィリピ3:18-19)

 偶像礼拝というと、私たちは、ただちに太陽を拝むことや、お金やこの世のものを神のようにして仕えることを思ってしまいます。もちろんそれらも神以外のものを神のごとくみなす点で、確かに偶像崇拝であることには違いありません。しかし、この『ハイデルベルク』問95の答は、神ご自身が御言葉を通してお語りになった以外の仕方で、つまり自分で勝手に考え出したり、造り出したりすることによって、それらを神とみなすことも含められます。

 なぜこの第一戒で、偶像崇拝が禁じられているのかというと、それによって神ご自身の栄光を損ねたり歪めたりすることとなり、結局は自分自身が神のごときものとなってしまうからです。それが「おのが腹を神とな」す(文語訳)ことに他なりません。

 私たちは、本来神に仕え、神の栄光を現すべき者であるのに、反対に神を自分に仕えさせたり、自分の都合のために利用する便利な道具としてしまったりしています。苦しい時の神頼み的なご利益信仰、わたしは無宗教です、との言い訳も実は、同様なのです。神を中心として生きたく願います。