2017年7月19日(水) マタイ26章 裂かれたパンは主の体の目印


一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」(マタイ26:26)

 キリストが弟子たちに準備させた過越の食事には、律法に従って酵母を入れないパンがありました。当時の過越祭で、実際に小羊の血が家の入口に塗られていたかどうかは、定かではありません。しかし、血が塗られていなくても、過越祭の食事において、血は想起されていたことでしょう。

 主は、その食卓でパンを裂いて弟子たちに与え、「これはわたしの体である」と言われました。裂かれたパンは、十字架で引き裂かれるご自身の体を指していたのです。キリストはご自分が「過越の小羊」であることを示されました。キリストと弟子たちの最後の晩餐は、新しい霊的な意味で過越の食事であり、新しい契約における最初の聖餐でした。

 聖餐式で、パンがわたしとあなたのために裂かれるのを目で見るのと同じくらい確かに、キリストの体があなたとわたしのために十字架上でささげられ、裂かれました。司式者がパンを裂くのを見て、十字架上のキリストの体を想起し、パンを食べ、キリストの贖いの恵みを自分の体で受け止めます。聖別されたパンは、礼典的一致においてキリストの体であり、パンに与り、キリストの体に与ります。