2017年7月10日(月) マタイ26章 わたしのための主の十字架


「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(マタイ26:26-28)

 最後の晩餐において、イエス・キリストは、パンを裂き、それを弟子たちに与え、更にブドウ酒の杯を取って、弟子たちに与えられました。主イエスの制定によって、私たちは今日も聖餐式を守っています。

 パンとブドウ酒は、地上的なものです。これに対して、キリストの十字架による罪の赦しと永遠の命は、霊的なことです。両者は別々のものです。しかし、神の約束の言葉と聖霊の働きによって、両者は関連づけられるのです。

 聖餐式において、確実に霊的祝福にあずかることができることを、私たちはどのようにして知るのでしょうか。『ハイデルベルク』問75の答は、「わたしが目の当たりにしているのと同様に確実である」と述べています。すなわち、パンとブドウ酒を私たちが「見る」のが確実であるように、キリストの体が「わたしのために十字架上でささげられ、また引き裂かれ、その血がわたしのために流された」ことは確実なのです。

 それゆえに、主イエスは聖餐式ごとに「取って食べなさい」「皆、この杯から飲みなさい」と私たちを大いなる祝福へと招いておられます。