2017年5月8日(月) コロサイ1章 キリストはキリストの教会の頭である


また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。(コロサイ1:18)

 『ハイデルベルク』問50は、私たちにキリストの昇天について、二つの目的を教えています。それは、キリストがキリストの教会の頭であること、そして、父なる神がキリストを通して万物を統治されていること、です。

 上記の御言葉は「キリスト讃歌」と呼ばれてきたものの一部です。パウロはその讃歌の前半でキリストと創造の関係(コロ1章15〜18節)を、後半でキリストと救いとの関係(同1章18〜20節)を歌っています。先だっておられた御子と万物の創造を歌い、今もキリストによって万物の存在は継続し、支えられていることを歌っています。そして、パウロは、御子イエス・キリストが同時にキリストの教会の頭であると歌っているのです。「キリストの体」は、「エクレシア」、すなわち、人びとの集会です。信徒の集会であり、地方ごとにある共同体です。わたしは、小さな群れと共に毎週礼拝をしています。

 地方の小さなキリストの群れであっても、「私たちの教会の頭はキリスト」と信じる時、大きな喜びを覚えます。人が作った団体ではなく、キリストの復活によって造られた群れであるからです。