2017年4月30日(日) 1ヨハネ4章 愛なる神と共に


わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(1ヨハネ4:16)

 わたしは救いというものを「神が共にいますこと」と定義しています。ますますその思いが強くなってきています。パウロ自身の心情でもありました(フィリ1章23節)。それは単に定義としてだけではなく、そのことを確信し、自己体験にしようと願っています。神が共にいますことこそ、生きていく上での支え、励まし、慰めだと思います。

 毎日、その時間と共に人生は刻々と古くなっていきます。そして、それをだれも押し留めることはできず、取り返しがつきません。慙愧の念に駆られ、悔恨の積み重ねの日々です。どうして、新しい生活など望めるのかと思います。

 しかし、そのような中で、神が共におられます。眠っているときもさめているときも、喜んでいるときも、悲しんでいるときも、順境のときも、挫折、失敗しているときも、神はわたしのうちに共にいまし、変わらない助けとなっていてくださいます。

 神はインマヌエルの神です(マタ1章23節)。その神との出会いが、救いです。救われた者としてその神と共に生きることが、私たちの新しい人生です。