2017年4月17日(月) ローマ8章 キリストの死


肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。(ローマ8:3)

 大学生の時、「神の子イエスがどうして神から呪われたものとならねばならないのか」という疑問が生じました。

 「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました」とあります(ガラ3章13節)。「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである」(申21章23節)と説明されています。

 それでも、キリストの死は呪われていたという言葉が頭から離れませんでした。祈りの中で、それほどまでに、わたしの罪は重いのだということを示されました。のほほんとしてクリスチャンホームに育ったわたしにとって、その衝撃は小さくなかったのです。小さい頃からいったい何を教わっていたのか。このとき、聖書の言葉が真剣に迫ってきました。

 罪を罪として処断する死とは、このように徹底したさばきであったのです。この死は本来このわたしの身に起きなければならないことだったのです。それを御子に負わせるという神の計り知れないご計画があり、愛があります。少しだけそれを実感できたような気がしました。このお方の死を無下に扱ってはならないと本気で覚悟しました。