2017年4月3日(月) ヨハネ1章 真の神が真の人に―神の言なればこそ


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。(ヨハネ1:1,14)

 第14主日のハイデルベルク信仰問答は、キリストの受肉―神の御子が人となること―を教えています。神々が人となるという化身、権化の思想は古くから多くの神話や民話にあります。それらは例えば、神仏が人間を救うために仮の姿を取ったとか、天下泰平のために時の為政者として現れたなどの形で登場します。しかし、そのような神々は人間や自然と連続する、同列の存在です。中途半端な神は、中途半端にしか人間になれず、また関われません。

 しかし、聖書が教える神は創造者、超越的、絶対的な神、真の神であり、同時に、弱さや苦しみを持つ真実の、現実の人間になられました。真の神にして真の人―「言」は「肉」となったのです。

 言には意味(知性)と音声(感覚)があるために交信手段となり得ます。超越的な神と現実世界に住む人間とが真に仲保されるためには、両方の特性を併せ持った存在が必要です。神である言が肉となったとは、神が仮にではなく、現実に本当の人間となったということです。真の神であればこそ、真に私たちのところに来られたのです。