2017年3月27日(月) ヨハネ1章 独り子を見つめる幸い


言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14)

 私たちは、キリストのものです。それは「神の子」と呼んでくださるほどに確かなものです。しかし神の子という身分は、本来キリストのみのものです。ですからキリストは神の「独り子」と呼ばれます。私たちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです(問33答)。

 その恵みは神の言であるイエス・キリストが「肉」となったことに現されました。ご自身を十字架の死に至るまで、この悲惨な私たちの現実を身にまとわれたのです。私たちの現実は、ほうっておけば滅びゆく体、また魂です。絡みつく罪が私たちを死へと誘いこむからです。誰も明日の命を保証できません。

 けれどもキリストは肉をとり、「わたしたちの間に宿られました」。私たちの罪にまみれた生活、死へと向かう命に入って来られたのです。

 どこに救いが、と嘆かざるを得ないような世に神の独り子は宿られました。私たちにはない栄光が、この御子にはあります。私たちにはない恵みと真理が、この御子には満ちています。

 私たちはこの独り子に、この世にはない命の光を見出したのです。