2017年3月4日(土) 創世記18章 人が笑い、神も笑う


サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」(創世記18:15)

 神のもとには笑いがあります。わたしにとっての神はジョークやユーモアを好まれるお方です。真面目で真剣な場面でも、ウィットに富んでおられます。

 「わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう」(創17章2節)と神はご計画を示されました。創世記17、18章は、その計画が成就していく極めて大切な場面です。アブラハムは「90歳のサラに子供が産めるだろうか」(同17章17節)と笑いました。その笑いは、神の言葉を疑う冷笑でありましたが、神はそれを逆手にとって、それならあなたに生まれる子供の名前は「彼は笑う」にしてしまおう、と言われたのです。

 サラも夫のアブラハムと同様、「ひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思った」(同18章12節)とあります。神はこの夫婦の、ご自身を疑う不信仰を良い意味で笑いに変えて、神がどんなに大能の方であるかを示してくださいました。神の笑いが人の笑いに勝ちました。人の冷笑を包み込んで、神による祝福の笑いに変えてくださったのです。