2017年3月2日(木) マタイ6章 野の花の喜び


「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。」(マタイ6:28)

 主イエスは天真爛漫であっけらかんとしておられるな、と思うことがあります。日々の衣食住について、少しも心配しておられません。私たちはと言えば、食い意地が張っていて、食をつなぐことを一生懸命に考えてしまいます。そのような現実を無視して、きょうの御言葉を言われたわけではないと思います。主イエスは、亡き父ヨセフの跡を継いで大工の仕事で一家を支えてこられ、その中で天の父に心から信頼しきっておられたのです。

 往年の名ドラマ「裸の大将」の主題歌で、「野に咲く花のように風に吹かれて…そんな風に僕達も生きてゆけたら素晴らしい」と歌われていましたが、ちょうどそれに似て、神の養いに任せきってしまう幸せを、主イエスは教えておられます。

 「やさいの時間」というテレビ番組では、一年を通していろんな野菜を育てていきます。子どもと一緒に見ていると、確かに野菜は自分で働きもしないし、紡ぐこともしません。野の花もそうです。それならもっと遙かに大事な私たちの生活を、神が心配してくださらないはずはありません。