2016年12月22日(木) 2コリント8章 主の貧しさによって


あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(2コリント8:9)

 主イエスの降誕について、まずは物質的な貧しさを先に考えますが、比較すべきは、天で本来持っておられた栄光との差です。地上という場に限定されることも、嬰児の姿であることも貧しくなることであり、へりくだりの姿であったからです。

 もちろん、この貧しさの中には十字架の上で何もかもはぎ取られたことや、死んで墓に葬られたことも含まれます。何かの本で「人が生まれてくるのは生きるためである」という言葉を見かけたことがあります。しかし、主イエスは、人の罪を背負って死ぬために、そうして、神の御旨を行なうために、生まれてくださいました。そのために貧しく生まれてくださったのです。それは、人として勝ち取ってくださった義という富を私たちに与えるためです。

 クリスマスの讃美歌は明るい曲調のものが多いのですが、わたしには悲しげに思える曲調のものもあります。救いがいよいよ成ったという喜びと共に、「主よ、申しわけありません」という気持ちも覚えます。主の貧しさをしのびつつ、主によってもたらされた富の価値、救いの価値を覚えましょう。