2016年11月26日(土) マルコ13章 目を覚ましていなさい


「だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたにはわからないからである。」(マルコ13:35)

 かつて「宗教はアヘンだ」と言った人がいます。しかし、主イエスは私たちの目を現実から引き離して幻想を見させるのではなく、「目を覚ましていなさい」と警告されています。「目覚めていること」それは、きょう主イエスが再臨されたとしても、それでよしという1日を私たちが送ることです。

 きょう、私たちの心を支配しているものは何でしょうか。そのために大切な人生の時間を使うことは本当に正しいことなのでしょうか。私たちは自分の人生のために必要なものが何であり、またそうでないものが何であるか分からないまま、混乱してきょうと言う大切な1日を送ろうとしてはいないでしょうか。そんな私たちに主イエスは「目を覚ましていなさい」と勧めてくださいます。私たちは「きょう、主イエスが来てくださっても大丈夫。きょう、私の命が取り去られることになっても、大丈夫」と言えるでしょうか。私たちがそう言えるために、この朝、主イエスの御言葉をもう一度心に留めながら、きょうの1日をどのように過ごすべきかを考えてみましょう。