2016年11月12日(土) マルコ7章 主イエスの口止め


そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れ…天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。…すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。(マルコ7:33-35)

 「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒されるにあたって、主イエスは細やかな配慮をされました。まず群衆の中から彼を連れ出して不安を取り除き、そして彼の両耳に指を差し入れ、また唾をつけて彼の舌に触れられ、天を仰いで、神がこれから何をしてくださるかを理解させようとしました。それは愛のボディ・ランゲッジ(手話)でした。

 ふと、映画『奇跡の人』で見た感動的なシーン、少女ヘレン・ケラーがサリヴァン教師の手話によって心の目を開かれる場面が思い起こされます。ここでは、それに遥かにまさる驚きと感動を与える奇跡が行われたのです。

 しかし主イエスは人びとに口止めをされました。何よりも奇跡の意味と主イエスご自身が正しく理解される必要があったからでしょう。人びとのこのような反応は今日も殆んど変わりません。

 それだけに、聖霊によって心開かれ(エッファタ)、神の愛と真理を本当に知った者は黙しているわけにいかないでしょう。自ら積極的に出て行き、どのような妨げの中でも、喜びをもって主の御業を「ますます言い広め」ます。