2016年7月8日(金) ヨハネ21章 主にお会いする(2)


イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。(ヨハネ21:7)

 ティベリアス湖畔で復活の主イエスが現れてくださいました。

 一晩中漁をして何も獲れなかったのに、誰とも知れない人の言うことを聞くと網を引き上げることもできないほどの大漁でした。その人があのお方だと最初に気付いたのは「イエスの愛しておられたあの弟子」ヨハネでした。体の中を電気が走ったようになったことでしょう。

 3年数ヶ月前にも同じことがありました。あれは主だ!その言葉を聞いてペトロもどきっとしたに違いありません。一時も早く主イエスの側に行きたい気持ちが、船も魚も他のことも忘れさせてしまいました。

 ヨハネの主イエスへの愛は、見分けにくい状況の中で主だと気付かせました。ペトロの主イエスへの愛は我を忘れさせました。どちらがよい悪いではありません。どちらもよいのです。

 主イエスへの愛の現れ方、表し方には個性があります。私たちの小さな教会の中でもいろいろな個性、主イエスへの愛の形があります。礼拝で復活の主にお会いする私たち。わたしの愛を素直に表しましょう。