2016年4月22日(金) ヘブライ1章 とてつもない方の登場


御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ1:3)

 神とは「祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方」です(1テモ6章15、16節)。この神を見た者は、死なねばならないと、旧約の民はおそれを抱きました。

 しかし最初の弟子たちは、自分たちはイエス・キリストという方において、その神を見たのだ、と告げ広めました。「御子は、見えない神の姿」(コロ1章15節)とパウロは告白し、「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです」とペトロは叫びました(2ペト1章16節)。あのヨハネ福音書の序章も然りです。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハ1章18節)。それは、弟子たちにとっても、まったくありえないような告白であったはずです。しかし、主イエスに出会った者たちは、そう叫ばざるを得なかった。なんと驚くべきことだったのでしょう。

 「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」とは、そういうとてつもない信仰告白です。