2016年4月19日(火) ヨブ19章 この身をもって神を仰ぎ見る


この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。(ヨブ19:26)

 ヨブはビルダドに対して反論します。「どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ、言葉をもってわたしを打ち砕くのか。侮辱はもうこれで十分だ」と(2、3節)。

 ヨブはビルダドに、「神がわたしに非道なふるまいをし」、「不法だと叫んでも答えはなく、救いを求めても、裁いてもらえないのだ」、「神はわたしに向かって怒りを燃やし、わたしを敵とされる」と訴えます。また、「神は兄弟をわたしから遠ざけ」たため、家族とすべての人から疎まれていることを述べます。そしてついに友の情けを求めて号泣します。「憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ、神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか」と(21節)。

 この悲嘆のどん底で、なんとヨブは、「わたしは知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう」と語るのです。

 ヨブは復活の希望により自らの身をもって贖い主である神を仰ぎ見ることを願います。その一縷の望みが、ヨブを絶望から守ります。