2016年3月10日(木) ルカ16章 貪欲は偶像礼拝にほかならない


「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16:13)

 ある金持ちと、ラザロというできものだらけの貧乏人がいました。金持ちは贅沢に暮らし、そして死んで立派な葬儀をしてもらいました。他方、ラザロはいつも腹ぺこで、ついに死んでも葬儀はありませんでした。しかし死後、彼らの境遇は逆転します。ラザロは天使によって宴会の席にいるアブラハムのそばへ、金持ちは陰府へと。

 金持ちは陰府で苦しみますが、境遇はもう変わりません。彼の間違いは何だったのでしょうか。それは聖書の間違った読み方による自己正当化です。神の祝福は神の命令への服従の結果である。それなら富んでいる自分は神に間違うことなく神に従っていると。そして貧しいラザロを無視しました。反対に主イエスは貧しい人を憐れみます。主イエスは「貧しい人」に福音を告げ知らせるために来られました(4章18節)。

 世界には1日1ドル以下で暮らす人が13億人近くいるそうです。金持ちとラザロは家の門でつながっていました。私たちは世界中の情報と一瞬でつながる時代に生きています。神は私たちに分かち合うよう招いておられます。