2016年2月10日(水) 申命記21章 十字架の預言


ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。(申命記21:22-23)

 パウロは、この箇所をガラテヤの信徒への手紙3章13節で引用し、主イエスの十字架刑が、呪われた者に対する刑罰であることを語りました。この申命記の戒めは、特に、死刑執行後のことを語ります。ここで言われている、その死体を木にかけるとは、遺体をさらしものにするということです。

 ヨシュア記10章26、27節は、ヨシュアがアモリ人の5人の王を打ち倒し、彼らを殺して木にかけ、その日のうちに埋めたと記しています。敵である王を処刑し、遺体をさらし、神の敵は神に呪われた者であることを明らかにしました。

 私たちの救い主は私たちの代わりに、そのような神の敵意を身に受けてくださいました。裸同然で十字架にかけられ、さらし者にされて神の呪いを引き受けてくださいました。神に敵対する者こそ、そのような裁きを受けなければなりません。しかし、主イエスは御自身の罪は何もないままに、その裁きを受けてくださいました。それは、神に敵対していた私たちを救うためでした。その主イエスの愛に、今日も私たちは守られています。