2015年12月7日(月) イザヤ53章 愛、痛みの果てに


彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。(イザヤ53:4)

 イザヤ書後半部には、「僕の歌」と呼ばれる四つの驚くべき使信が記されています。53章はその最後の歌です。これによってやがて新約聖書で全貌を現す主イエスの救いの核心につながる、重大で痛切な福音を伝えています。

 僕の苦しみは、人々から理解も共感も得られないかに思われました。しかし、やがて事態は一変します。僕の苦しみと惨めな面影に、まったく新しい光が当てられます。この僕が受けている、恐ろしいほどの苦難と痛みは、「わたしたちの病」を担う代理の受苦でした。

 「神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ」。これがとんでもない思い違いだと知ったとき、人は皆神の前に恥じるでしょう。僕の苦難の中に救いと赦しがあることを知れば、この僕こそ人生の主だと告白するでしょう。主の僕の苦しみが、主イエスの生涯を通して実現したことを、感謝をもって告白するに違いありません。

 僕自身には、どのような罪も過ちもありません。しかし神は、この僕の上に罪と背きに対する裁きを置かれました。主イエスの愛と痛みの故に、今日の平安があります。