2015年11月7日(土) ガラテヤ6章 教会は一つ


兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。(ガラテヤ6:18)

 「わたしたちの主イエス・キリスト」という言い方は、この手紙の中では6章にのみ出てきます(14、18節)。

 「わたしたちの主イエス・キリスト」は、割礼のあるパウロから割礼のないガラテヤ教会の人びとへの呼びかけの中で語られています。さらにもう一つ。同じ文脈でパウロは、ガラテヤ教会の人びとに対して、「兄弟たち」とも呼びかけています。「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(15節)。パウロは、イエス・キリストは分け隔てなさることなく、新しく創造された私たちの主なのだ、と言っています。

 現代の日本の私たちには、ユダヤ律法主義の偽教師問題(割礼問題)というものは存在しないでしょう。しかし、パウロがガラテヤ教会の人びとに願ったことは、神が私たちに願っておられることと同じです。私たちは、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架」(14節)だけを誇ります。そのとき、兄弟姉妹間を分け隔てる壁が取り除かれ、「神のイスラエル」(16節)としての、すなわち唯一の公同の教会としての一致を保つことができるのです。