2015年10月25日(日) 詩編109編 復讐を求める心に救いを


彼の生涯は短くされ
地位は他人に取り上げられ
子らはみなしごとなり
妻はやもめとなるがよい。(詩編109:8-9)

 詩人は、相手の不幸を公然と祈っています。私たちは主イエスの「敵を愛せよ」という教え、パウロの「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」という教えを知っていますから、この「復讐の詩編」を読むと戸惑ってしまいます。

 これは詩人の言葉ではなく、詩人を攻撃している敵の言葉なのだとして、この問題を避けようとする解釈、方法もあります。また新共同訳聖書は8〜20節を一段下げて編集し、「主はこのように報いられる」と、主の報復の具体的描写として理解しようとしました。

 しかし詩人は赤裸々に、復讐を求める自分の心をさらけ出しているのです。しかし同時に、そのような自分の惨めさを自覚しています。「わたしを助けてください」(21節)という祈りは、「わたしは人間の恥」だ(25節)という罪の自覚のゆえです。

 復讐したくなるわたしの心を、人にではなく神にさらけ出してよいのです。自らの復讐心を含めすべてを神に明け渡してしまいましょう。人がわたしを呪うことがあっても、神はわたしを祝福してくださいます。そのことを信じて神に祈ります。