2015年8月12日(水) サムエル上11章 民を救う神の器


しかし、サウルは言った。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから。」(サムエル上11:13)

 ヤベシュの人々がアンモン人のナハシュから耐え難い屈辱と苦悩を強いられたとき、これを聞いたサウルは聖なる怒りに燃え、全イスラエルを鼓舞、激励し、一致団結してアンモン人に圧勝しました。これは、彼が既に油を注がれ、神の霊に満たされていること(10章1、10節)の結果であり、異教徒に対する主なる神の勝利です。

 イスラエルの人々は、先にサウルの王としての資質を疑い、侮った者たちを処罰しようとしましたが、サウルはそれを阻止しました。神がイスラエルを恵み、ヤベシュの住人を生かされたのですから、その中の者を殺すことは、神の恵みを受け入れた人がすることではありません。神の恵みの御業に用いられる人は、それにふさわしく行動しなければならず、また、そうすることができます。神の恵みに生かされることから来る知恵と愛です。

 神の器とは、その民を救い、生かすことに用いられ、またそれに仕える人です。この典型が主イエス・キリストです。主はご自分を嘲り、苦しめる者の赦しを、敢えて神に執り成されたのです(ルカ23章34節)。