2015年8月2日(日) 箴言17章 人の心を試される主は愛


銀にはるつぼ、金には炉、
心を試すのは主。(箴言17:3)

 日々の暮らしでの争いごとが、社会生活での裁判沙汰(14節)に発展することがあります。訴える者も訴えられる者も、正しい裁きを求めるのは当然です。

 賢者には、法廷で働く官僚らに社会正義と法秩序を説く教師の顔があります。「貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者」(5節)、「人のふところから賄賂を取り、裁きの道を曲げる」のは「神に逆らう者」(23節)、「悪い者を正しいとすることも、正しい人を悪いとすることも、ともに、主のいとわれること」(15節)と戒めます。

 家に帰れば賢者は、父親の顔になって子を諭します。争いを愛するのは「罪を愛する者」(19節)ではないか。他人を押しのけて裕福になるよりは、貧しくても平安であるほうがよい(1節)。他者の過失を暴かないで覆うのが「愛を求める人」(9節)のすることであると。

 神の眼差しは、裁く人にも裁かれる人にも注がれます。人の心を試される主は、「多くの罪を覆う」愛(1ペト4章8節)、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(1コリ13章7節)愛です。