2015年7月29日(水) サムエル上3章 主は聞く者の所に来て語られる


主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル上3:10)

 サムエルの幼少時代は士師の時代でした。「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(士21章25節)ため、「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」のです(1節)。

 自分の正しさを捨て、神の正しさを求めない者のところに神が来られるわけはありません。たとえ礼拝をささげてはいても、「主を知ろうとしなかった」礼拝で主が語られるはずもないのです(2章12節)。神への畏れと聞こうとする姿勢を持つ者にのみ、主は来て語ってくださいます。そして主は聞いたが黙ってしまうことをも良しとはされません。畏れをもって聞き、人に語る者を探しておられます。そうして主はサムエルを選び出し、神の言葉を委ねられました。

 そればかりか、来て語ってくださる主なる神は、神の言葉そのものであられる御子イエス・キリストをお与えになりました。そして、聖書を教会に委ねてくださいました。教会がいつも畏れをもって聞き続け、語り続けるものとして歩めますよう、ともに祈りましょう。