2015年7月19日(日) 箴言15章 言葉のありよう


陰府も滅びの国も主の御前にある。
人の子らの心はなおのこと。(箴言15:11)

 言葉のありようは、その人の心のありようを映します。知恵ある人の舌は知識を明らかに示し(2節)、その唇は知識をふりまきます(7節)。その知識とは、言葉を与えてくださった神を知る知識、言葉そのものである主の御心を知る知識、その御方に祈る言葉を知る知識と言えます。神に従う心は思いめぐらして応答し(28節)、正しく答える人には喜びがあり、時宜にかなった言葉はいかに良いものでしょうか(23節)。

 ところが、わたしたちの舌は大言壮語し、疲れを知らない悪、死をもたらす毒に満ちています。主なる神を賛美する同じ舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。舌はまさに諸刃の剣です。

 賢者は、主なる神に対する言葉のありようが、隣人に対する言葉のありようと不可分であることを知っています。どこにも主の目は注がれ、善人をも悪人をも見ておられます(3節)。陰府も滅びの国も主の御前にあり、人の子らの心はなおさらです(11節)。自らの心が神の御前にあることを忘れない人、心の底に潜む陰府の滅びを照らしだす主の光を遮らない人こそ、知恵を得る人です。