2015年7月17日(金) 2コリント5章 キリストの愛に駆り立てられて


なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。…その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。(2コリント5:14-15)

 パウロは、伝道者としての生き方を貫きました。その原動力は、パウロ自身、「キリストの愛」に駆り立てられていたからだと断言します。キリストの愛が自分に強く迫ってきた。キリストの愛が両方から挟みつけるように迫ってきて、ただ自分はそのキリストの愛に押し出されるだけであったというのです。

 パウロは、キリストが私たち罪人を救うために、罪を負い、十字架上で死なれたと言います。本来、私たちの罪は、自分で負わねばならないのですが、私たちの罪は重すぎて背負いきれません。その罪の重荷をキリストが私たちに代わって担ってくださったと信じた時に、ご自身を十字架へと明け渡してくださったキリストの愛が迫ってくるとパウロは述べるのです。そして、もはや自分のために生きることをしないで、自分のために死んでよみがえった方のために自分は生きているのだ、とパウロは述べています。

 キリストが私たちの罪の重荷を背負ってくださっていると信じている私たちは、キリストの愛に駆り立てられて生きています。その恵みと真実に感謝して、大胆に主のために生きていきましょう。