2015年4月29日(水) イザヤ30章 主を待ち望む人の幸い


それゆえ、主は恵みを与えようとして
あなたたちを待ち
それゆえ、主は憐れみを与えようとして
立ち上がられる。
まことに、主は正義の神。
なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。(イザヤ30:18)

 イザヤ書は一貫して主を待ち望む人の幸いを語っています。そこには必ずや主の救いがもたらされる確信があります。それがこの30章では18節以下に描かれています。

 第一は、祈りの力です。「必ず」と言われているように(19節)、強い確信があります。これが本来、祈る人と神との関係でした。しかし、罪や高慢のために、神に対する人の思いが崩れてしまいました。それでも主は恵みを施してくださっています。この主に呼び求めるとき、主は必ず応えてくださいます。

 第二に偶像を一掃することです。主の恵みを受けて「これが行くべき道だ」(21節)と確信するのであれば、道でない偶像を捨てる方向へと導かれます。たとえいかに人びとに人気があり、慕われていたとしても偶像は「消えうせよ」(22節)と言われます。これこそ主の姿勢です。

 いつも順調なことが続くわけではありません。だからこそ、主は民の傷を包み、いやしてくださいます。その喜びはとても言葉では言い表しきれないほどすばらしい祝福を与えてくれるものです。