2015年4月8日(水) イザヤ18章 万軍の主の名が置かれた場所


そのとき、貢ぎ物が万軍の主にもたらされる。
背高く、肌の滑らかな民から
遠くの地でも恐れられている民から
強い力で踏みにじる国
幾筋もの川で区切られている国から
万軍の主の名が置かれた場所
シオンの山へもたらされる。(イザヤ18:7)

 「主の名が置かれた場所」とは、ソロモンの祈りの言葉にあるように、主の神殿のことです(代下6章20節参照)。どのような住まいも主を納めるには相応しくありません。それでもイザヤは今、この主の神殿のことを考えていることでしょう。異邦人は、自分たちの神こそ偉大な存在と思っています。けれども、主なるまことの神と決定的に違うことは、主はその名を民の間に置かれる方であるということです。

 やがてこのことは、イエス・キリストが人の間に宿ることによって明らかになります。イザヤやソロモンが語った「主の名」こそ、受肉したイエス・キリストです。そして使徒言行録のエチオピアの宦官からエジプト伝道が始まったことで、さらに拡大しました。それ以降、北アフリカ一帯は急速にキリスト教化していきました。アウグスティヌスはその中の代表的な一人といってよいでしょう。イザヤの預言は、福音の広がりと共に、文字通り実現しました。

 今やそれぞれの教会があるところこそ、主の名の置かれるところです。そこに私たちが招かれていることに、畏れと光栄を覚えます。