2015年3月27日(金) マタイ19章 神は何でもできるから


「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。(マタイ19:24-26)

 金持ちの青年は、永遠の命を得る方法を主イエスに尋ねました。彼は、十戒を守るくらいは朝飯前、という誇りを持っていました。ところが、全財産を貧しい人々に施すように命じられたとき、主から離れ去ってしまいました。確かに、私たちは十戒のたった一つでさえ完全には守ることができません。

 そのような罪人が、あるがままで永遠の命を得ることは、らくだが針の穴を通れないように不可能です。しかし、神にはできます。主イエスは、その真理を鮮やかに示すために、幼子を祝福されました(13〜15節)。自力では生きていくことができない赤ちゃんに、一方的な祝福、つまり、永遠の命を与えられました。信仰とは、神の前に幼子のように神に全幅の信頼を置いてしまうことです。そして、神にすべてのことを、ひたすら求めることです。

 主の掟を実行できないと言って、主イエスから立ち去る必要はまったくありません。そこでこそ、幼子のようにすがりつくべきなのです。なぜなら神は、私たちを祝福しようと、何でもしようと、きょうも父としての御顔を向けていてくださるからです。