2015年3月2日(月) イザヤ1章 罪が緋色のようでも


論じ合おうではないか、と主は言われる。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる。(イザヤ1:18)

 預言者イザヤが活躍した時代は、ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世でした。歴史を描くときには、さまざまな観点があります。政治的、経済的、文化的、外交的観点などです。しかし、聖書の神は、独自の観点でその時代を見ていました。

 「罪を犯す国、咎の重い民、悪を行う者の子孫、堕落した子ら」だと、その治世を断罪します(4節)。なぜなら、支配者たちは無慈悲で、賄賂を喜び、贈り物を強要し、弱者の権利を守らず、その訴えを取り上げないからです。といっても宗教生活がまったくなくなったわけではありません。多くの献げ物が神殿にささげられ、安息日もさまざまな祝祭も行われていました。けれども、それは心が伴わない形だけのものでした。そして、罪を犯し続けるなかで、良心の痛みを感じなくなったのです。

 しかし、それでも神は、希望を語ります。その罪が消しがたい色であっても、雪のように、羊の毛のように白くなることができると約束してくださいます。キリストと結ばれて、心から自分の罪を悔い改める者には、この約束は今も変わることがありません。