2015年2月8日(日) 詩編89編 主の慈しみは変わらない


主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。
あなたの慈しみに生きる人々に
かつて、あなたは幻によってお告げになりました。
「聖なるわたし自身にかけて
わたしはひとつのことを誓った
ダビデを裏切ることは決してない、と。」(詩編89:2,20,36)

 詩人は、39節から、主なる神がダビデ王国を見捨てられたことを嘆き悲しんでいます。詩人は、神に棄てられたダビデ王国の王として、主なる神がダビデ王と結ばれた契約を破棄しないで、むしろ、実現してくださるように祈ります(47〜52節)。

 この詩編は、バビロン捕囚に苦しむ王の失意と嘆きを歌う祈りであると思われます。ある学者は、列王記下24章8〜17節に記されたヨヤキン王ではないかと推測し、王が異国の地バビロンでダビデ王国の滅びを嘆き悲しみ歌った、と考えます。

 詩人は、2〜38節で主の慈しみを回顧しています。主なる神は、慈しみとまことによってダビデをイスラエルの王に選ばれ、彼と子孫と契約を結ばれました。そして主なる神は、ダビデの子孫が背くなら懲らしめ罰するが、必ずダビデ王国を堅く立てると約束されました。

 ですから詩人は、神が慈しみによってダビデに約束されたことを実現してくださいと祈ります。神の慈しみは変わらない、と信じているからです。この信頼は、ダビデの子イエス・キリストの到来で報われます。