2015年2月2日(月) ヨシュア13章 望むべき嗣業


ただ、レビ族には嗣業の土地は与えられなかった。主の約束されたとおり、イスラエルの神、主に燃やしてささげる献げ物が彼の嗣業であった。モーセはレビ族に対しては嗣業の土地を与えなかった。主の約束されたとおり、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である。(ヨシュア13:14,33)

 13章からは、イスラエル十二部族に対する約束の土地の分配について語られています。

 ルベンとガドの二部族とマナセの半部族は、ヨルダン川を渡らずして、約束の土地を得ていました。その説明の直後に、あたかも彼らの嗣業(割り当て地)と対比するかのように、神に近く仕えるレビ人に割り当て地のないことが語られます。

 土地を得ることは、確かに父祖アブラハム以来の約束の成就です。しかし、レビ人が得た嗣業こそ、約束の地に住む最終目的を指し示しています。神に受け入れられ神に仕えることがそれです。「主の約束されたとおり、イスラエルの神、主に燃やしてささげる献げ物が彼の嗣業であった」。神を礼拝すること、そして神に近く生きることが民の本分です。「主の約束されたとおり、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である」。

 レビ人の嗣業(神礼拝)が重んじられ、喜ばれ、他の部族からも感謝されるものであるなら、主の民の歩みは幸いです。嗣業を配分する「測り縄は麗しい地を示し」ているからです(詩16編6節)。