2014年10月24日(金) マルコ16章 恐るべき復活


「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。…」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16:6,8)

 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書は、同じ主イエス・キリストの福音を語りながらも、それぞれに独特の個性があります。きょうの聖書箇所は、8節で理解するなら、マルコらしさが最も現れているところの一つです。

 週の初めの日の朝ごく早く、婦人たちは香料を携えて、主イエスの遺体を納めた墓を訪ねます。どうやって転がそうかと話し合っていた墓の入り口の石は既に脇へ転がされ、お納めしたはずの主イエスの遺体は墓の中のどこにも見当たりません。そして、天使である白い長い衣を着た若者から、婦人たちに主イエスの復活が告げられます。

 マルコは、そのときの彼女たちの心を支配していた驚愕と恐怖の感情を書き記し、主イエスの復活の喜びに触れることなく、筆を置きます。この緊張感に満ちた、不自然にも思える終わり方にこそ、マルコの復活に関するメッセージが込められているように感じるのです。主イエスの復活がどれほど恐るべきことであるか、わかっているだろうか。その恐れと驚きのなかからこそ復活の喜びが爆発します。