2014年10月22日(水) エステル10章 民の幸福を追い求め


ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。(エステル10:3)

 エステル記の最終章には、モルデカイが受けた「栄誉」と、税金という「祝祭」から離れた日常生活とが記されています。

 王が、帝国中に課した税(1節)は、決して軽いものではなかったようです。しかし、モルデカイは権力の中枢にありながら、民から恨まれるということはありませんでした。ユダヤの民からはもちろん、「多くの兄弟」と呼ばれる同じ時代に生きた人びとからも愛されたとあります。それは、人びとの幸福と平和を希求したモルデカイの姿があったからです。彼は共なる人びとを愛しました。

 古代教父アウグスティヌスは、「相手よりも先に愛することほど、大きな愛への招きはない」と教えています。

 神の愛を受けた人が、共なる人びとを愛し始めます。神の幸福を味わった人が、共なる人びとへ幸福を贈り始めます。神の平和を経験した人が、共なる人びととの平和をつくり始めます。誰も、経験することなしには始められません。誰も、神からしか、始められません。神が、私たちを愛してくださいました。すべてはそれが始まりでした。その神の思いが私たちの共なるきょうを彩ります。