2014年10月11日(土) マルコ12章 まことのメシアとは


イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。
『主は、わたしの主にお告げになった。…』
このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」(マルコ12:35-37)

 主イエスとユダヤ人たちとの間で繰り広げられた論争は、主イエスの完全勝利に終わりました(34節)。続くこの箇所で、主イエスはとどめを刺すかのように、詩編110編を引用しながら律法学者たちの誤ったメシア観を取り上げて、まことのメシアについて教えておられます。

 律法学者たちが「メシアはダビデの子だ」というとき、彼らが想定していたのはユダヤ民族の英雄としてのダビデ王でした。かつてダビデ王がペリシテ人やアンモン人との戦いを勝利に導いたように、やがて到来するメシアはローマ軍を打ち破って再び祖国に自由と繁栄をもたらしてくれるはずだ、と彼らは期待していたのです。

 しかし、まことのメシアとは世界のすべての民を救ってくださるお方であって、民族主義的英雄ではありません。異なる民族の間に横たわる敵意を滅ぼし、両者を一つにし、争いそのものを終結させるお方です。まことのメシアであるダビデの子主イエスは、十字架の死によってそれを成し遂げてくださいました(エフェ2章14〜16節)。