2014年7月29日(火) エレミヤ16章 主はわたしの力、わたしの砦


主よ、わたしの力、わたしの砦
苦難が襲うときの逃れ場よ。
あなたのもとに
国々は地の果てから来て言うでしょう。
「我々の先祖が自分のものとしたのは偽りで、空しく、無益なものであった。
人間が神を造れようか。
そのようなものが神であろうか」と。(エレミヤ16:19-20)

 「見よ、このような日が来る」と、エレミヤは主の言葉を語ります(14節)。これはユダの人びとが捕囚として連れて行かれたバビロンからの民の帰還を語る預言です。

 バビロン捕囚は、偶像礼拝の罪に対する罰でした。主は「漁師」と「狩人」を遣わして、二度の罰を与えます。第一回目はヨヤキン王の時であり、第二回目はゼデキヤ王の時です。主は徹底的にユダを罰し、だれもこれから逃れることはできませんでした。

 しかし、主が人びとを捕囚の地から約束の地に帰らせる日が来るのです。人びとは主への背信によって罰を受けたのですが、この赦しの中で、偶像は空しいものであり、主こそが力であり、砦であり、苦難のときの逃れ場であることが示されます。

 この喜びはユダの人びとに留まるものではありません。「国々は地の果てから来て言う」とあるように、主が「わたしの力、わたしの砦」と告白できるのは、限られた者だけに許されていることではありません。福音は全世界へと広がり、その福音は、人間が造れるようなものが神であるはずがないことを証ししています。