2014年5月11日(日) 詩編58編 人を裁くことができるか?


しかし、お前たちは正しく語り
公平な裁きを行っているというのか
人の子らよ。
いや、お前たちはこの地で
不正に満ちた心をもってふるまい
お前たちの手は不法を量り売りしている。(詩編58:2-3)

 きょうも、多くの隣人に出会います。その隣人をほめることもあるでしょう。しかし残念ながら、裁くこともあるのではないでしょうか。

 はたして私たちは人を裁くことができるのでしょうか。聖書は教えます。人は人を裁くことはできない、と。それは、私たちには、裁く資格がないからです。私たちは、罪によって堕落し、もはや隣人を、正しく、正確に、間違わず、公正に判断し、裁くことができません。私たちの判断は、絶えず自分本位であり、しばしば自分に有利な判断をしてしまうのです。

 この詩編は、「神はいます。神はこの地を裁かれる」(12節)で締め括られています。詩人は、人の不正な裁きを受けて苦しむ中で、すべてを正しく裁くことができる神の裁きを待ち焦がれました。

 また、聖書は、私たちが真理を公正に判断するときは、自分一人ではなく、絶えず、「二人ないし三人の証人の証言」(申19章15節)を通して、つまり、「教会」を通して判断するよう教えています。主イエスが、神の裁きを恐れる教会を通して、地上に公平な裁きをもたらさられるように、祈り求めます。