2014年3月29日(土)エフェソ2章 キリストはどこまでも


なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちはその善い業を行って歩むのです。(エフェソ2:10)

 私たちの救いの根拠は、ただ神にのみあります。信仰は神の恵みの賜物なのです。しかしこのことが独り歩きしますと、悔い改めが深くなるどころか、罪を軽視することがあります。キリスト者になってからも、罪の残りは依然私たちの内にあるからです。そしてその罪にはまり込んだ時、真摯な悔い改めもせず、神の恵みがいつしか自分の甘えに変わってしまうのです。

 しかし神の恵みは、甘えではありません。命を懸けた真剣なものです。キリストの死と復活をもって共に生かして下さった恵みです。安いものではありません。高価なものなのです。この恵みによって救われたのは、善い業のためです。そのために私たちは「キリスト・イエスにおいて造られた」のです。さらに善い業に励む時も、神の恵みと言い得るのは、「神が前もって準備してくださった」と神の摂理を信じるからです。

 ひと度、私たちは罪に敗れ、くずおれるかもしれません。しかしその時も立ち上がらせてくださるのは、共に生きるキリスト・イエスなのです。