2014年3月26日(水)列王上3章 人のうちにあるもの


王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。(列王上3:28)

 ダビデ王の後を継ぎ王となったソロモンが神に願ったのは、長寿でも富でもなく、王として民を正しく裁くために民の訴えを正しく聞き分ける心でした。神はこの願いを喜び、ソロモンに「知恵に満ちた賢明な心」を与えました(12節)。

 3章には実際にソロモンが裁いた民の訴えの一つが記されています。子について争う二人の母親に対する裁きは、まさに知恵に満ちた賢明な、そして正しい裁きでした。

 ここで大切なことは、何よりもイスラエルの民がソロモンのその裁きを聞いて、彼のうちに「神の知恵」があるのを知り、彼を王として畏れ敬うようになったということです。ソロモンは正しい裁きを行いましたが、それによって民に、自分自身の力を認めさせたわけではありませんでした。彼のうちに神の知恵、神の力があることを認められたのです。

 私たちには自分自身の力を他人に認めさせたいという欲求や願望が常にあります。しかし、認められるべきなのは、私たち自身の力ではなく、私たちのうちにあって働く神の力なのです。その神の力を認められたとき、それこそが私たちにとっての神の福音の証しとなるのです。