2014年3月5日(水)エズラ3章 礼拝する民


第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。祭司たちは…神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。(エズラ3:1-2)

 弱さや欠けがあっても、神の御心に従って礼拝を優先しようとする民にはすばらしい恵みが与えられます。バビロン捕囚から帰還して間もない人たちが、各地から集まって来ました。さまざまな違いがあっても、神の心を自分たちの心として生きようとして、一人の人のようになりました。

 帰還して間もない神の民には、生活再建の大きな課題がありましたが、それ以上に大きな課題は礼拝再建でした。それを御言葉に従って始めようとしています。ユダヤの第七の月、新しい年の初めですが、神殿の基礎工事をするにも、必要な資材も技術もなかったのです。けれども、神が命じておられるように礼拝を第一として始めようとするとき、必要な全てが不思議にも与えられました。生活に必要なものも備えられました。ここに私たちの希望があります。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタ6章33節)。神殿の基礎が据えられ喜びの叫びと泣く声が遠くまで響いたのです(3章12、13節)。