2014年1月26日(日) 詩編44編 立ち上がって、我らをお助けください


立ち上がって、我らをお助けください。
我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。(詩編44:27)

 この詩は、9節のところまで、主がかつて神の民になされた恵みの業を覚えて、賛美と感謝をささげています。

 ところが、10節から調子が変わります。「しかし、あなたは我らを見放されました」と。過去の恵みと比べて、今の苦しい現実を訴えます。しかも、苦しみの理由が分かりません。主を忘れることなく、主との契約を守り、主の道を歩んでいるのです。

 23節では、「我らはあなたゆえに、絶えることなく、殺される者となり、屠るための羊と見なされています」とあります。これは、主を信じるゆえに苦しめられるということでしょうか。

 パウロは、その23節をローマの信徒への手紙に引用します(8章36節)。キリスト者にも苦難があり、屠られる羊のように見られていると。しかし、それを引用しつつ、パウロは教えます。「わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めてい」ると(同37節)。信仰生活の苦難の中でこそ、神の愛を信じ、何ものも神の愛から私たちを引き離すことはできないことを覚えるのです。