2014年1月12日(日) 詩編42編 主を慕い求める


涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩編42:2-3)

 きょうは主の日です。教会では礼拝が行われます。この詩は、礼拝にかかわるもののようです(3節、5節)。

 詩人は「お前の神はどこにいる」(4節)と嘲笑される中で、神を慕い求めています。鹿が、もはや水が涸れてしまった川床になお水を求めてあえぐように、神を求めます。求めている神が御臨在くださるのが、他でもない礼拝です。礼拝における御言葉、祈り、聖礼典によってこそ、主は御自身を現してくださいます。詩人は、それによってこそ魂の渇きが癒され、潤されることを慕い求めているのです。かつての神殿での礼拝を思い起こしながら(5節)。

 詩人は自分の魂に言い聞かせます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。『御顔こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ」(6、7節)。

 渇きは満たされることを信じて、期待して、待ち望んでいます。私たちも、魂の渇きが満たされることを信じて、礼拝に集いましょう。礼拝に集えない場合も、なお神を慕い求め、待ち望みましょう。