2013年11月1日(金) 2ペトロ2章 キリストの僕


わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。(2ペトロ2:20)

 2章は偽教師の問題です。偽教師というのは、全くの教会外の人ではなく、一度はキリストを深く知っていた人です(20節)。ですが彼らは世の汚れに再び巻き込まれ、生活は淫らな楽しみに耽ってしまいました。何故彼らは間違ってしまったのでしょうか。一つには、彼らが御言葉を軽視していたことです。彼らについて、既に聖書の預言を自分勝手に解釈していることが暗示されていました(1章20節)。もう一つとしては、救いに必要なのは信仰だけだからと、神の愛と恵みばかりを強調する誤りです。この点ばかりを強調する偏った聖書の読み方は、罪深い生活に対して、気持ちを緩めてしまいかねません。

 こうした危険は私たちにも起こることです。ひとたび主イエスを知り、教会に連なりながら、以前の生活に舞い戻るなら、前よりも悲惨な状態となります。では、どうしたら良いのでしょうか。聖書は、神の愛と恵みと共に、救われた者の歩むべき道をも語っています。神は御言葉に従おうとする者を、必ず試練から救い出してくださいます(9節)。主の約束を信じ、大胆に従って行きましょう。