2013年10月14日(月)出エジプト5章 主とは一体何者なのか


ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。(出エジプト5:2)

 いよいよモーセはファラオの前に立ち、主の言葉を告げて、イスラエルをエジプトから去らせるようにと願います。しかし、「心をかたくなにする」ファラオは最初からモーセの話に耳を傾けようとはしません。「主がこう言われました」とモーセが言っても、ファラオは「主とは一体何者なのか。…わたしは主など知らない」と言い張ります。

 このとき、ファラオの口から出た言葉は重大です。このことはファラオの不信仰から語られた言葉です。しかし、この言葉は出エジプト記を通してこれから語られていくことが一体何かを示しています。出エジプト記ではここから「わたしが主であることを知るようになる」との言葉が何度も繰り返されています(6章7節、7章5節、17節)。主を知るのはエジプト人とイスラエルの民、さらに全世界の民なのです。神がイスラエルをエジプトから救い出された本当の目的がここにあります。

 イエス・キリストによる私たちの救いもこのことにおいては同じです。ジュネーヴ教会信仰問答にも、「人生の主な目的」は、「神を知ること」ですと教えられています。