2013年8月23日(金)ヨハネ20章 見ないで信じる人は、幸い


イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

 ヨハネ20章には、「見る」ことについての言及が多く見られます(8、18、20、25、27、29節他)。しかし、復活されたイエスは、見て信じたトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」と言われました。

 確かにトマスは、見なくても、主の復活を信じることが可能でした。復活についての主ご自身の約束、旧約聖書の預言、弟子仲間の証言があったからです。

 今日の私たちも同じです。主の復活を預言し約束する旧約聖書、また主ご自身の約束と命がけで主の復活を伝えた弟子たちの証言書である新約聖書があります。

 キリスト教の全ては、イエス・キリストの復活の事実にかかっています(1コリ15章3-8節、13-19節)。この大事なキリストの復活を、今、誰も目撃することはできません。しかし旧新両約の聖書の証言により、一切の鍵を握る主イエスの復活の出来事を、私たちは確実に信じることができます。私たちが幸いな者なのです。