2013年4月29日(月)エゼキエル12章 僕は聞いております


「彼らは見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない。…あなたは、白昼彼らの目の前で、自分の荷物を、捕囚の荷物として持ち出しなさい。」「『彼らの中の首長も、暗闇の中で…出て行く。』…バビロン…を見ることはできず、そこで死ぬ。」(エゼキエル12:2,4,12-13)

 ユダの最後の王ゼデキヤの滅亡が預言されています。戦士も王も、夜中にエルサレムを逃げ出します。王が捕えられ、目の前で、王子たちが殺され、王の両眼がつぶされます。そしてバビロンに連行され、獄死します(エレ52章)。それは彼が「主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」ためであるとあります(代下36章12節)。

 エゼキエルは、行動と言葉で王の滅亡をバビロンで預言します。白昼、捕囚の同胞の目の前で、荷物を造り、捕われの身を装い、顔を覆い見えないふりをします。しかし、何度も、何度も警告されても(4〜7節)、王は悔い改めません。それで預言されたとおり、見えなくされ、バビロンに連れて行かれます(13節)。その根本にあったのは、「見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない」王と民の姿です(2節)。

 盲人の目、また心の眼を開いたのは、主イエスです(ヨハ9章)。預言者サムエルのように祈るべきです。「主よ、お話しください。僕は聞いております」と(サム上3章9節)。